何だか段々出掛けるのが億劫になった気がします。億劫なのは懐具合の所為かもしれません。
今から8年前の2008年9月20日発行の「お出かけ通信」で取り上げた話題なんですが、つい先ごろ、Facebookで、紹介しましたら割と反響があったので、もう一度取り上げようと思います。ご記憶の方もいら者るでしょうし、「あ、この画像、見た事ある!」と仰る方もいらっしゃることと思います。まあ、そういう方には目をつむっていただこうということで・・・・。
■■■ のどかな時代(23) ■■■
■■■ 京成電車で成田、そして佐原 ■■■
1962年・昭和37年8月11日・土曜日、千葉県の成田線、佐原駅からバスで入ったあたりまで、出かけて行きました。当時のことですから、土曜日もちゃんと仕事をしたのですよ。まあ、2時には終わるんですが。そういうわけで、四谷にある会社から、総武線で浅草橋。ここから、まだ東日本橋~押上間が開通していた都営地下鉄浅草線に乗りました。
(1)電車は京成の地下鉄乗り入れ車の、3050形で「3071+3072」でした。京成津田沼行きの各停でした。結構、じれったいものですが、一人旅なので、のんびり行きました。東中山駅で待避線に入っています。何に抜かれたんでしょうか?全然記憶はありません。
(2)上り線に、210形でしょうか、ドア位置が左右でズレた電車が3両とトレーラーを1両挟んで来ました。いかにも京成という電車でした。
(3)私の乗った3071+3072の各停は、ここ、京成津田沼で終点。次の列車に乗り換えです。ホームンモ反対側には、新京成の126形130が入りました。
(4)130をアップで撮ってみました。
(5)駅の広告看板が面白いので拡大してみました。左のちょっとインパクトあるオジサンは、めがね屋さんでしょうか・・・。
(6)私の乗った電車は成田に向かって走ります。どの辺だかさっぱりわかりませんが、門型高圧線鉄塔が、三相交流×2の横並びで、いかにも京成電車です。
(7)国鉄・佐倉駅の駅弁もやっていた「いせや」のアイスクリームの車内販売が来ました。多分、同じ「いせや」だと思います。満員に近いロングシートの車中は、売る方も食べる方も大変だった事でしょう。
(8)そろそろ、成田でしょうか・・・・。
(9)成田駅到着。乗った電車は210形215でした。
京成電車から国鉄成田線へ・・・・気動車に乗り換えて、五つ目の佐原駅まで行き、そこからバスで奥に入るのですが、写真もなければ記憶・記録もなく、如何したのかさっぱり分かりません。
(10)国鉄の佐原駅前のバスターミナルです。地方の駅前のバス乗り場って、こんな感じのところがありました。
(11)向こうのバスが気になるので拡大してみましたが、本屋さんの看板以外は読めず、結局よく分かりません。
なんだか、尻切れトンボな記事になってしまいました。次回はどんな事を取り上げようかと、思案中。
では、また!!!!!